白井晟一の初期図面を
初公開
しました(京都市内)

今春、漸く見つかった白井晟一初期作品(羽後病院・雄勝中央病院)の図面一式と書類等並びに「書」の作品(コピーしたもの)を入手することが出来ましたので、早速 特注額装にして、京都市内で初公開しました。 
今も、好評を得ております。  
ぜひ、ご覧ください。 

   来年も、引続きご覧頂けますので、ご期待ください。 
   
  
 
   老舗・一保堂の美味しい御茶もご用意してあります

白井晟一研究会

2006年12月16日更新

2006年

羽後病院の立面図は木造の美しい姿を表しているが、平面図にこそ、
後年の作品の特徴となる基が既に表れていると言える。
つまり、両翼を広げて抱き入れる形態は、「松井田町役場」のバルコニーの
カーブや、「渋谷区立松涛美術館」の外壁の緩やかな凹面、
さらに計画案ながら高く評価される「原爆堂計画」に見られる曲線で、
それらによって、温かく人々を受け入れる空間を創り出すことに、
作者のコンセプトが込められていると言えよう。

白井晟一研究所の作品図面は、数年来問い合わせをして探していたが、
「羽後病院」に数年前と2006年2月1日・2日に問い合わせた時には「平成6年に
処分したらしい.何も残っていない」という返事。
一方、「雄勝中央病院」の図面を探すべく、また当時の白井先生のことを
伺うために建設会社に連絡したところ、
「羽後病院」も実は高久建設の御蔭で竣工
できたという事実が判明した。(今までの文献では「柴田組」となっている)


高久四郎氏に御礼に謹呈された直筆「書」も残っており、これによって、初期の
「白井晟一の書」研究にもなった.
また、当時「羽後病院」は西馬音内病院または西部組合病院と記されていた。
   
    尚、羽後病院からは、秋に図面(同上と同じ図面の青焼き図面)が
   見つかった記事が新聞他に掲載されたので、驚いて問い合わせたところ、
   丁寧に詫びて記事のコピー等を送付頂いたことを付記しておく.

「雄勝中央病院」に関しては、「伝染病隔離病棟 設計資料」を発見し、白井研究所にも知らせた。 病院から送付頂き、研究会(京都)で保管。(2006年2月1日) 
  
 

白井晟一展