羽後病院の立面図は木造の美しい姿を表しているが、平面図にこそ、
後年の作品の特徴となる基が既に表れていると言える。
つまり、両翼を広げて抱き入れる形態は、「松井田町役場」のバルコニーの
カーブや、「渋谷区立松涛美術館」の外壁の緩やかな凹面、
さらに計画案ながら高く評価される「原爆堂計画」に見られる曲線で、
それらによって、温かく人々を受け入れる空間を創り出すことに、
作者のコンセプトが込められていると言えよう。
白井晟一研究所の作品図面は、数年来問い合わせをして探していたが、
「羽後病院」に数年前と2006年2月1日・2日に問い合わせた時には「平成6年に
処分したらしい.何も残っていない」という返事。
一方、「雄勝中央病院」の図面を探すべく、また当時の白井先生のことを
伺うために秋田県湯沢市の建設会社(株式会社丸臣高久建設)に連絡したところ、
「羽後病院」も実は丸臣高久建設の御蔭で竣工できたという事実が判明した。
(今までの文献では「柴田組」となっている)
高久四郎氏に御礼に謹呈された直筆の「書」も残っており、これによって、
初期の「白井晟一の書」研究の貴重な資料にもなった.
また、当時「羽後病院」は西馬音内病院または西部組合病院と記されていた。
尚、羽後病院からは、秋に図面(同上と同じ図面の青焼き図面)が
見つかった記事が新聞他に掲載されたので、驚いて問い合わせたところ、
丁寧に詫びて記事のコピー等を送付頂いたことを付記しておく.
「雄勝中央病院」に関しては、「伝染病隔離病棟 設計資料」を発見し、白井研究所に
も知らせた。 病院から送付頂き、研究会(京都)で保管。(2006年2月1日)
今春、漸く見つかった白井晟一初期作品(羽後病院・雄勝中央病院)の図面一式と書類等
並びに「書」の作品(コピーしたもの)を入手することが出来ましたので、早速
特注額装にして、京都市内で初公開しました。
今も、好評を得ております。 ぜひ、ご覧ください。
来年も、引続きご覧頂けますので、ご期待ください。
老舗・一保堂の美味しい御茶もご用意してあります.
白井晟一研究会
2006年
2022年 8月 8日 更新
2006年12月16日更新
白井晟一の初期図面を
初公開しました(京都市内)
白井晟一展