2007年




2022. 4. 3. 追記更新
2014.12.17.更新
2007.7.17.更新
  白井晟一のドイツ留学時代を初公表 !!
「白井晟一は孤高ではなかった.向井寛三郎教授と過ごした
                      欧州生活」

 

白井晟一は京都高等工芸学校・図案科卒業後、ドイツに留学。今まではあたかも
卒業後は母校と無縁のように語られてきたが、実はドイツ生活で母校の先輩でも
ある恩師・向井寛三郎教授を頻繁に訪ね、食事を共にしていたことが向井教授の
『滞欧日記』により判明。
ご長男の向井正也氏(神戸大名誉教授)に尋ねて回答を
得て、抜粋を頂く。(のちに全原文も入手)
。今こそ、白井晟一への誤解を解き、
真実に迫るべく公表。
これまで義兄・近藤浩一路の渡欧や文化人との交流という華美華麗に粉飾されていた
べールが一気に剥がされた!! 

 「懐霄館」(1980年 日本芸術院賞受賞白井晟一の代表作の一つ)を模して
京都の美術商が建てたとき、なぜ京都で騒ぎ立てなかったのか?!

「虚白庵」(自邸・1970年・東京都中野区)の自室に飾られた自書「妙法」は
何を意味していたのか?!



白井晟一は、どうして無事に帰国できたのか?!  

今こそ、それらの真相を解明!!

http--kit-obog.sakura.ne.jp-wordpress-wp-content-uploads-vol1-P23.pdf

白井晟一研究会