What's learned by Seiiti Sirai ?

 <追悼> 白井さんと枝垂桜       建築家・前川國男1905(明治38)― 1986(昭和61)年 
                                            新潟市生れ、5歳より東京で育つ

   
 「 朧夜の さくらに  すヾを  なぜつけぬ 」   鏡花
 

・・・
これで出来なきゃ、日本は闇よ。ふっと恢った泉鏡花先生の科白の断片を、私は胸中で呟いた。

箱根国際会議場競技設計の審査が終わった夜だった。白井(晟一)さんと私は、何と もやりきれない気持で、
二人とも仏頂面をして、黙りこくって車を走らせていた。コンペ応募案には否応なしに日本の建築家の現状が
浮き彫りされていた。考えれば、このコンペが失敗に終わるのは当然の帰結であった。戦後、水ぶくれ状況の
まま推移してきた日本の建築界に、期待をかけるほうが無理というものだった。
・・・・ 車はやがて明治神宮外苑にさしかかった。雨上がりの、生暖かい夜気のなかで、外苑の黒々とした木立
のあいだに、咲きぞめを私は目にした。
「春で、おぼろで、ご縁日」か。鏡花の一節に誘われるようにして、「京都の桜を観ようか」と、私は白井さん
に声をかけた。こうして、祇園の夜桜、常照皇寺の枝垂桜と、二人とも子供のように夢中になって、京の桜を
見て廻った。1971年の春のことである。
 
 その後、白井さんは御自宅の庭に、一本の枝垂桜を植えられた。いい姿の桜だった。私は何となく作戦的中
といった感 じがした。というのは、陽のあるうちは狸寝入りをきめ込む 白井先生を、何とか引っ張り出して、
俗世の空気になじまそうという魂胆だったからである。  
 惜しいことに、白井邸のその桜は数年後、一夜にして枯れてしまったと白井さんから聞いた。花には縁がない
のかもしれん、と言っていた白井さんが、今度は京都の住宅の現場に、20本もの枝垂桜を植えるべく探している
と、風の便りに聞 いたのは、つい最近のことだった。 ・・・
  
 白井さんの訃報は、花を散らす一陣の強風のように私の胸中を吹き抜けた。日本の闇を見据える同行者は、
もはやいない。
       
                                                 
       
                      ―― (初出「風声」17号・1984)



B

折鶴のような手摺のスリットに、美しい黄金の光が
溢れた.デザインの妙味に今更ながら感嘆!   




@

降りしきる雨と照明の中で、最高に美しく輝いたタイル

(同じ場所を、翌日、快晴の昼間撮影)

2013. 3 15 更新

 白井晟一は前川國男に何故共鳴したのか ?
 (1905−1983)   (1905−1986年) 

左方は会議室とピロティ、右は第2ホール

<白井晟一研究会会誌「景窓」bP(2007年)に掲載より抜粋>

<解体工事開始後>

 白く覆われて、まるでオペの最中のような第1ホール
     (2012年12月9日)

西側外観 (疎水の水面には平穏に鴨が列をなして泳いでいく)

工事現場のようす     (2013年1月31日)
左端の銅板葺屋根は、東隣の京都市美術館「別館

解体される「第1ホール」のエントランス

正面玄関が面している二条通りのプロムナード

チョコレートケーキを切ったように、北部を綺麗に切りとられて
短くなった京都会館
      (2013年1月31日)

工事の音が聞こえて、北側を見る.第1ホールがなくなった!! 




A

そこには素晴しい蒼穹が拡がっていく

疎水辺の姿が美しい (右方が第2ホール)

中央の屋根の円柱は第2ホールの設備塔だが、
デザインの一部として存在感がある

      楽屋出入り口
(筆者がコーラス発表会に出演した時、
ここで記念撮影した想い出の場所)

階段裏も、一つのデザインになっている.射し込む光が
オンパレード

道具搬入口もプロポーションが
美しく、風格がある

9月6日の雨の夜、中庭は幻想的な黄金の光に包まれた

この優雅な階段を上った正面には「京都会館ランチルーム」(都ホテル
直営店)があり、幼い日にはいつも駆け上るのが楽しみだった.
(「みやこめっせ」が竣工後は、そこに移転したので、別のCafe に
なった)  階段の左右の手摺は、同じデザインではない.

第1ホールのバルコニーに掲げられていた(9月6日迄)
  「京都会館の新たな幕開けにご期待ください 
      長年のご利用ありがとうございました」

第1ホールの1階ロビー

「京都会館」北側外観 (第1ホール)
          2012年9月7日撮影

岡崎の景勝の地にあって、市民の文化と憩いの場であった
  父も母も若かった・・幸せな家族の佳き想い出が、ここにあった
                  ――― 京都会館 
     

1960年3月竣工、4月29日に開館した「京都会館」は、2012年9月10日より第1ホールの解体が開始された。これはその直前に撮影したもの

重く頭上に圧し掛かるような梁をくぐると

9月6日、黄昏時から俄かに激しく降り始めた雨は、夜の帷が下りても、一向に止みそうにない。
雨とゴールドの光が奏でる幻想的な素晴しい光景に絶句。
飽くことなく、いつまでも立ち去らない、雨の夜の唯一人の訪問者に与えてくださった、
          正に神様からの最高のプレゼント。
工事が始まる前の、最後の雨の夜となった。
   
   しとしと降りしきる雨は、私の代わりに涙を流してくれているかのよう。
   間近に迫り来る老いた両親との別れを想い、私は心の中で泣いた。
   物陰に身を寄せれば、ぬばたまの夜の闇に拡がる、沈黙と慟哭


鉄とコンクリートとガラスと石の調和と共存。素材の大きなスケールの中でも、
繊細な気配りが生かされているデザインの妙味に、今更に感嘆。
忘れてはならないデザインの基本である。 
   
   ふと、前川國男の呟きが聞こえる。『白井さんと枝垂桜』の一文である。
   一見、全く違う作風の二人が何故共感し合えたのか。疑問が一気に解けた。
   途轍もないデリカシーと、見事なデザイン力。
    
翌日9月7日は、一転して、青空と真白な雲の夏日和。もう一度訪ねる。
第2ホールのホワイエの鮮やかな陶壁画を見下ろしながら、バルコニーに立つ。
頭上にのしかかる、トンネルのような陰の空間。早く抜け出したくて進むと、
見事な額縁で切りとられた蒼穹が輝く。そして、一気に開放的な大空に拡がる。
   
   幼い日、家族と竣工直後に見学して、私はこのトンネルが怖かった。
   この大建築家はここだけ失敗したのだ、と思っていた。
   しかし今、この建築の最後に真摯に向き合って、それが陰と陽の醍醐味だと
   気付いたのは幸いであった。白井晟一の晩年の作「松濤美術館」と
   「びわこ湖北寮」を経て。