What's learned by Seiiti Sirai ?
B
折鶴のような手摺のスリットに、美しい黄金の光が
溢れた.デザインの妙味に今更ながら感嘆!
↑
@
降りしきる雨と照明の中で、最高に美しく輝いたタイル
(同じ場所を、翌日、快晴の昼間撮影)
2013. 3 15 更新
白井晟一は前川國男に何故共鳴したのか ?
(1905−1983) (1905−1986年)
左方は会議室とピロティ、右は第2ホール
<白井晟一研究会会誌「景窓」bP(2007年)に掲載より抜粋>
<解体工事開始後>
白く覆われて、まるでオペの最中のような第1ホール
(2012年12月9日)
工事現場のようす (2013年1月31日)
左端の銅板葺屋根は、東隣の京都市美術館「別館」
解体される「第1ホール」のエントランス
正面玄関が面している二条通りのプロムナード
チョコレートケーキを切ったように、北部を綺麗に切りとられて
短くなった京都会館 (2013年1月31日)
工事の音が聞こえて、北側を見る.第1ホールがなくなった!!
↑
A
そこには素晴しい蒼穹が拡がっていく
疎水辺の姿が美しい (右方が第2ホール)
中央の屋根の円柱は第2ホールの設備塔だが、
デザインの一部として存在感がある
楽屋出入り口
(筆者がコーラス発表会に出演した時、
ここで記念撮影した想い出の場所)
階段裏も、一つのデザインになっている.射し込む光が
オンパレード
道具搬入口もプロポーションが
美しく、風格がある
9月6日の雨の夜、中庭は幻想的な黄金の光に包まれた
この優雅な階段を上った正面には「京都会館ランチルーム」(都ホテル
直営店)があり、幼い日にはいつも駆け上るのが楽しみだった.
(「みやこめっせ」が竣工後は、そこに移転したので、別のCafe に
なった) 階段の左右の手摺は、同じデザインではない.
第1ホールのバルコニーに掲げられていた(9月6日迄)
「京都会館の新たな幕開けにご期待ください
長年のご利用ありがとうございました」
第1ホールの1階ロビー
「京都会館」北側外観 (第1ホール)
2012年9月7日撮影
1960年3月竣工、4月29日に開館した「京都会館」は、2012年9月10日より第1ホールの解体が開始された。これはその直前に撮影したもの
重く頭上に圧し掛かるような梁をくぐると
9月6日、黄昏時から俄かに激しく降り始めた雨は、夜の帷が下りても、一向に止みそうにない。
雨とゴールドの光が奏でる幻想的な素晴しい光景に絶句。
飽くことなく、いつまでも立ち去らない、雨の夜の唯一人の訪問者に与えてくださった、
正に神様からの最高のプレゼント。
工事が始まる前の、最後の雨の夜となった。
しとしと降りしきる雨は、私の代わりに涙を流してくれているかのよう。
間近に迫り来る老いた両親との別れを想い、私は心の中で泣いた。
物陰に身を寄せれば、ぬばたまの夜の闇に拡がる、沈黙と慟哭。
鉄とコンクリートとガラスと石の調和と共存。素材の大きなスケールの中でも、
繊細な気配りが生かされているデザインの妙味に、今更に感嘆。
忘れてはならないデザインの基本である。
ふと、前川國男の呟きが聞こえる。『白井さんと枝垂桜』の一文である。
一見、全く違う作風の二人が何故共感し合えたのか。疑問が一気に解けた。
途轍もないデリカシーと、見事なデザイン力。
翌日9月7日は、一転して、青空と真白な雲の夏日和。もう一度訪ねる。
第2ホールのホワイエの鮮やかな陶壁画を見下ろしながら、バルコニーに立つ。
頭上にのしかかる、トンネルのような陰の空間。早く抜け出したくて進むと、
見事な額縁で切りとられた蒼穹が輝く。そして、一気に開放的な大空に拡がる。
幼い日、家族と竣工直後に見学して、私はこのトンネルが怖かった。
この大建築家はここだけ失敗したのだ、と思っていた。
しかし今、この建築の最後に真摯に向き合って、それが陰と陽の醍醐味だと
気付いたのは幸いであった。白井晟一の晩年の作「松濤美術館」と
「びわこ湖北寮」を経て。